私とは何か―「個人」から「分人」へ(平野啓一郎著)を読んで

「本当の自分」とは?

英語の「individual」が「個人」と翻訳され西洋から輸入されたのは明治時代。意外と近年になってからという事に驚きましたが、「本当の自分」について悩む事があるのはこのせいなのではないかと、よく挙げられる問題提起から始まる平野啓一郎さんの「私とは何か」。

「本当の自分」について

本質的なひとつの自分自身―「個人」―というものが在る訳でなく、人は誰かと出会う度に、その人との「分人」を発生させ、そのたくさんの「分人」によって私自身が構成されているという「分人」という考え方について書かれています。

例えば小学校時代の友人と会っている時の自分と、大学時代の友人と会っている時の自分、職場の同僚と会っている時の自分と恋人と会っている時の自分。
そこで会う人によって違った「分人」がある。例えば小学校時代の友人と大学時代の友人が混ざるような環境を想像すると、自分はそれぞれに違った分人で接していたのが混ざるので違和感がある。
さらに「この人と会っている時の自分は好き」「この人と会っている時の自分は嫌い」というような違いがあると、その考え方に実に腑に落ちる説明がなされていて興味深いです。

「この人と会っている時の自分は好き」

「この人と会っている時の自分は好き」という表現はある種自己愛的な…ナルシシズム的な表現かもしれないものの、例えば本書に書かれているように

「あなたと一緒にいると、いつも笑顔が絶えなくて、すごく好きな自分(=分人)になれる。(以下略)」p.137

と言われたとすると、それは納得できるものだなと実感しました。

本書を読み終えてみて、Facebookでのちょっとした(自分にとっては良い意味での)違和感がここにあったのだなと思います。
細かく公開範囲を設定していない限り、自分の知らない友人の一面がたまにアップされるのですが、この人は自分の前以外ではこんな分人もあるのだなと、それは結構な違和感であるものの面白い一面。

例えばtwitterでも、そのアカウントにアクセスしてみれば、自分の仲間内のリプライ以外、自分のタイムラインに現れない所で、その人の他の分人を表しているつぶやきがあったりします。

最近はSNSでそういった「分人」が可視化される事も増えてきたので、平野さんの「分人」という考え方は大変納得できるものでありました。

自分が誰かから影響を受けているように、自分も誰かに影響を与えている。

自分が誰かから影響を受けているように、自分も誰かに影響を与えている。
ひょっとしたら誰かにとっての自分は、その他大勢向けの一種類の「分人」にまとめられているかもしれないものの…

長い人生、いろんな人達と出会うんだから、居心地の良い自分の「分人」を見つける旅だと思うと楽しめるのではないでしょうか。
自分も誰かにとって素敵な「分人」を誕生させられる存在でいたいものですね。

本書を読んで平野啓一郎さんの小説にも興味を持ったので、今度読んでみようと思います。


コメントは受け付けていません。